メールって何ていい加減なんだろう。それでもメールに依存する、されることが多い。
尊敬する方が、以前「メールは言葉の暴力だ」とすらっと言い放った。その言葉がいつまでも胸にささっている。
確かに書いた文章が意図したまま伝わらないかもしれない。と私は思うが、思わない人は自分の意見をそのまま送る、という行為に対して納得していて、内容はあんまり重視しない場合も多々。
こんなこと書いたからって傷つくようなメールを読んだわけではないのだが、、、。

その人が言いたかったのは、仕事のメールがどんどん溜まっていくけど重要かどうかは開いてみないとわからない。どーでもいいことまでCC:で飛ばすのは便利だからという理由に他ならないのだと。読まない方が悪い、とばかりに送りつける上司…ってことだった。

確かに思う。いらないメールの中にも重要なメッセージは隠れているのかも知れない。読むか読まないかは本人次第だというのが慣れていないワタシ。学校ではやりなさい!と叩き込まれ、社会ではやっておくように!と助言されてきたのだが、ほとんど強制的にやらされる事が多かった時代に生きてきたため、自由に放り出されると何からやっていいのやら…と躊躇すること多々。

たぶん、束縛の中から自由を探し出すことがワタシの生き方で、自由から何かを求めるというのが難しい。でも探して見つけた自由には笑顔を必ず添付する。
そうしてその自由から求めるのではなく与えてあげるものを探すことにしている。

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